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ウルマン: ヘルダーリン歌曲集

川辺茜

本日はヴィクトル・ウルマンの《ヘルダーリンの詩による3つの歌曲》をご紹介します。ウルマンは、シェーンベルクの教え子の一人ですが、ナチス政権下で迫害され、収容所で亡くなった悲運の作曲家です。そのような状況下で作曲された〈沈む太陽〉〈春〉〈夕べの幻想〉は、3曲で10分弱の短い作品ながらも、美しさと深い憂いを湛えた聴き応えのある作品です。うつりゆく時代の中で、それぞれに苦悩や課題を抱えながら、でも生きていく。現代でも多くの人に通じるものがある作品だと思い選曲しました。
私も惹き付けられてやまない、ロマン派の面影を残しつつも、美しいだけではない、物事や人間の思考や心の機微を本質的に音で表現できる20世紀のドイツ歌曲の魅力をお伝えできたら幸いです。

チェコ出身のヴィクトル・ウルマン(1898-1944)は、アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)の教えを受けた作曲家の一人である。作曲家として、また指揮者としても将来を嘱望されていたが、ユダヤ系の出自と、彼の音楽が「頽廃音楽」だとされたことにより、ナチス政権下の時代の波に飲まれ、テレジエンシュタットの収容所を経て、最後はアウシュビッツ=ビルケナウ収容所で46年という短い生涯を閉じた。

悲運に見舞われながらも、収容所内で紙の入手に苦労しながら作曲を続けたと言われており、その時に作曲されたものの一つが、このヘルダーリンの詩による歌曲である。
生前の作品では失われてしまったものが多いなかで、収容所での作品は生き延び私たちのもとに残された。ウルマンよりも100年も昔のヘルダーリンの詩ではあるが、ヘルダーリンは精神的な病による死生観、ウルマンは身に迫る危機の中での死生観の中で、心の叫びに共感したのかもしれない。

ヨハン・クリスティアン・フリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843)はドイツの詩人、思想家であり、1770年の生まれと言えば、ベートーヴェンや、哲学者のヘーゲルと同じ年の生まれである。もっとも有名な作品に小説「ヒュペーリオン」(1797)がある。この作品はフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)をはじめ、日本においては三島由紀夫(1925-1970)など多くの作家、思想家、哲学者に影響を与えた。

ヘルダーリンはテュービンゲン大学で神学を専攻するが、卒業後は神職に付かずに家庭教師などをしながら詩作を続ける。しかし生前に刊行された詩集は一冊にとどまり、彼の詩は生前にはあまり日の目を浴びなかったと言えるだろう。

彼の人生に於て、ディオーティマ(ズゼッテ)との出会いは運命的で、彼女から美なるものを感じとり、多くの頌歌、讃歌が生まれた。彼女の死後、彼はまだ30代前半であったが、病状は悪化や回復を繰り返しながらも詩作を続けていたが、とうとう36歳で精神科に入院、37歳(1807)からはツィンマー家の一室で、いわば介護されながらの生活となった。以後この借間に36年間、亡くなる日まで暮らすことになる。


第1曲〈沈む太陽 Sonnenuntergang〉
ヘルダーリン20代後半頃の作品(1798頃)とされる。この詩を数多くの作曲家がテキストとして採用しており、ウルマンの他にも、ヨーゼフ・マティアス・ハウアー(1914)、パウル・ヒンデミット(1935)、ヘルマン・ロイター(1947)などが挙げられる。

「お前はどこ?」という呼びかけに始まり、夢うつつの魂が、金色の中に「太陽の若人が天上の琴で夕べの歌を奏でる」のを聴く。しかし「その若人は敬虔な民が待つところへ去っていった」という内容。宗教的な傾向を帯びながらも、あちら側の世界の美しさを色や音色のイメージにのせて立体的に描いている。

ウルマンは、この詩に幅広い音域で曲を付けており、8分の9拍子と8分の12拍子が変則的に入れ替わることで、拍節感を弱めている。メロディーはまだ十分に聴き取ることができるが、かといって調性の枠に留まっているともいえない。シェーンベルクら新ウィーン楽派がそうであったように、ウルマンもロマンティックの流れを汲みながらも、既存の調性音楽にはない新しい表現を試み、己の音楽を具現化しようとしていたのだろう。



第2曲〈春 Der Frühling〉
ヘルダーリン最晩年の作品。短詩作品群の中で〈春〉は9作品あり、その中のひとつである。

第一連では、ドイツリートでもしばしば題材にされる、春の歓喜、「緑萌える山々」や「晴れやかな大気」を感じることのできることが、「人間の喜びである」と歌う。しかし、結びには「やさしい笑顔が見られるのも遠くはない」と、あたかも彼岸の世界を想起させる内容になっている。やさしい笑顔とは、ディオーティマのことだろうか。ほぼひきこもりの療養生活のなかで、春の喜びとは程遠い現実との解離が生じているように思われる。

このような二面性をウルマンは的確に再現している。8分の6拍子と8分の9拍子を入れ換えながら、心に押し寄せる不安とかすかな希望とを、揺らぎのリズムにのせている。全体に減音程と増音程が多用されており、どこか歪で空虚な印象が、詩人と作曲家どちらもそれぞれの置かれた状況と相まって、訴えかけてくるものがある。なお、増8度、短9度など、1オクターヴ上げるか下げるかすると、クロマティックになる旋律はアントン・フォン・ヴェーベルン(1883-1945)が多用していたことから、共通点が見いだせる。



第3曲〈夕べの幻想 Abendphantasie〉
この詩(頌歌)は1799年の作で、1、2曲目から比べると比較的長い四行×六節となっている。晩年の作品に比べると、憂鬱さをもちながらも明るさが保たれているように感じる。

「小屋の木陰に腰かけている農夫」や「村の夕暮れの鐘」など、のどかな村の風景からはじまる。そんな人々の営みの中で、「私はどこへ?」とその中に溶け込めない心の孤独感と愁い、懐疑心が吐露される。後半では美しい彼岸への憧憬が歌われ、「私を連れていってくれ」と切望するも、そのような願いは幻想であり消え去っていく。結びでは、達観したかのように、そのときが来るまで平和に老い、静かに生きていく覚悟が語られる。

ウルマンの歌曲の中で、この曲はもっとも知られている作品のひとつである。それは、この曲を一度聴けば、その美しさは共感していただけるはずだが、前の2曲に比較しても後期ロマンの色合いが強く、F-durから始まる調性感も安定しているので、理解しやすいこともあるだろう。中間部分はテキストの内容に即して、転調しながら心の叫びを爆発させていて、和音の響きと言葉が一体化している。演奏者としては、この曲の最終部分で、ふたたび静けさを取り戻し、天上的な美しさの冒頭旋律が戻ってきたときが最も感動的だと感じ、その部分の演奏には最も神経を注いだ。

3曲の組み立てに関して、ヘルダーリンが比較的若いときの二つの詩の間に、最晩年の〈春〉を挟み、憂鬱と安らぎへの憧れを表現し、今を生きる覚悟というテーマ性があると私には感じられた。また、第一曲のテキストで、「天上の琴で夕べの歌を奏でる」とあるので、最終曲に〈夕べの幻想〉を置いたのも偶然ではないかもしれない。

3曲を通して単純明快な曲とは言いがたくも、この時代の音楽の在り方を顕著に顕し、二人の人間の生き様が浮き上がるような三曲三様の音楽を楽しんでいただけたら幸いである。

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18:27

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本日はヴィクトル・ウルマンの《ヘルダーリンの詩による3つの歌曲》をご紹介します。ウルマンは、シェーンベルクの教え子の一人ですが、ナチス政権下で迫害され、収容所で亡くなった悲運の作曲家です。そのような状況下で作曲された〈沈む太陽〉〈春〉〈夕べの幻想〉は、3曲で10分弱の短い作品ながらも、美しさと深い憂いを湛えた聴き応えのある作品です。うつりゆく時代の中で、それぞれに苦悩や課題を抱えながら、でも生きていく。現代でも多くの人に通じるものがある作品だと思い選曲しました。
私も惹き付けられてやまない、ロマン派の面影を残しつつも、美しいだけではない、物事や人間の思考や心の機微を本質的に音で表現できる20世紀のドイツ歌曲の魅力をお伝えできたら幸いです。

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