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なかにしあかね 星野富弘の詩による歌曲集 二番目に言いたいこと

小沼俊太郎

未だ払われることのない闇に一筋の光を放つ、星野富弘の珠玉の言霊を、なかにしあかねの素朴なメロディに乗せて。

歌唱:小沼俊太郎
ピアノ:向山恵奈

1. いつだったか

清々しい、透明感のあるメロディに乗って、星野富弘氏の素直な抒情が、そよ風のように心に染み込んできます。
たんぽぽの綿毛は、たった一つのミッションのために、風に乗り種を運ぶものですが、その不自由さの中には、究極の自由があるのかもしれません。
星野富弘氏をご存知の方は多いと思いますし、今はすぐになんでも詳しく調べることができる時代ですが、文字数を稼ぐためには解説せねばならないでしょう。
星野富弘氏は体育教師でしたが、クラブ指導中の事故で頚椎を損傷し、20代の若さで手足の自由を完全に奪われました。
事故から数年後に、氏は口で筆をとり、絵を画き、詩を書くようになりました。
キリスト教の洗礼を受けたのは、事故から4年後のことです。
星野富弘氏の詩画は、今なおたくさんの人の心を照らし続けています。
氏の言葉は、そのシンプルさゆえに、たくさんの人の心を打ちますが、その行間ひとつひとつに、想像を絶する氏の苦悩や葛藤を垣間見ることができます。
いかなる慰めの言葉も届かぬ、暗い深淵の扉をひらき、底から見上げる瞳に一筋の光を注ぎ込んだのは、身近に寄り添う家族だったのかもしれませんし、小さな庭先の小景だったのかもしれません。あるいはたんぽぽの綿毛が飛んでいく様だったかもしれません。


2. 秋のあじさい

一日、一日を、丁寧に生きることを教えてくれる。ひとつひとつの音符を丁寧に、言葉を、文字を丁寧に歌うことを教えてくれます。
口で筆を咥えて文字を書く、絵を画く星野富弘氏にとっては、丁寧さとは、やむをえずそうなる、という性質のものでしょう。
『上手に書いてるなあ』とかそういう感じで消費していい類のものではないように思います。
文字を書く、絵を描く、そういった行為そのものに、神聖な儀式のような意味を感じます。
思えば歌うことも文字を書くことも、祈祷や儀式に通じるものですよね。
決して出ることの叶わない、小さな空間から無限の世界にアクセスするための、鍵のようなもののように感じるのです。


3. 山に行こう

この詩は、どんな思いで書くのでしょうか。心にあるちいさな囲いを思うときに、氏の心は山上からそれを眺めているのでしょうか。
星野さんは、若い頃は登山をする人だったようです。登山家の目に映るものは、雄大な大自然の景色だけではないと思います。
辛くて下を向く時には、地面をおおう小枝や、小さな石。名も知らない草や花、ひょっとしたら懸命に生きる虫なんかも見えるかもしれません。
小さな声なき声に励まされ、足が前に進む。ということもあったかもしれません。

4. よろこびが集ったよりも

僕はずっと怒っているような気がします。しかし、怒りの本流は悲しみであるとも聞きますので、本当はずっと悲しいのかもしれません。
この一年間のこの国の風景を見るにつけ、この歌は妙に諦観的に心に響くものがあるのです。
人は自分の中に生まれたネガティブな感情を悪者のように扱います。
だけど自分の中にある、悲しみや苦しみや、弱さを認めてこそ、本当の意味で前に進むことができるんじゃないかな、と思います。
それは一人の人間であっても、社会であっても同じことだと思います。


5. いちじくの木の下

世界に拒絶されたように感じる時、人はあえて木に登ろうとするのかもしれません。
ザァカイとは聖書に出てくる登場人物で、エリコという大きな街の徴税人の頭を務めているものでした。
当時のユダヤは、ローマの属国でしたから、この税金はローマに収められるものでした。そのためザァカイは、エリコの人々に蔑まれ、嫌われていました。
ある時、イエスが街を通るというので、人だかりができていました。
ザァカイもまた、イエスを一目見ようと人だかりに近づいたのですが、街の人たちが彼の行手を塞いで、前を見させてくれませんでした。彼は背が低かったのです。
そこで彼は先回りをし、木に登ってイエスが通るのを待っていました。人々が口々に彼を罵る中、イエスは彼に優しく声をかけました。
ザァカイ、急いで降りてきなさい、今夜はぜひ君の家に泊まりたい
ザァカイは急いで木から降り、喜んでイエスを迎えました。


6. 今日もひとつ

何気ない日常の尊さは、誰もが知っていることだと思います。噛み締めるほど味わうことも、狂おしいほど希求することも稀ですが。それでもみんなわかっている。そういうものだと思います。
この歌曲集に映像をつけようと考えた時、なるべくホームビデオの雰囲気で作りたい、と思いました。少し手ブレとかもあってもいいよね、とか思いながら撮ったりしたのですが、編集とかしてみると、思った以上にホームビデオになってしまって、え?本当にこれでいいの?と葛藤しながら編集していました。
この曲が一番そのイメージに近くて、『日常のための祝祭』のような雰囲気にしたいと考えたのです。そのため、表現としての『内輪ネタ』のようなものが一番強く出てしまったように思いますが、後悔はしていません。
小さな、小さな輪の内側。そこから一歩も出ずに世界を愛したい。そう思ったのです。


7. 二番目に言いたいこと

ここは千望台と言いまして、故郷の留萌市と、祖父の家族が犠牲になった、三船殉難事件の現場を一望できる公園です。ここには幼い頃からたくさんの思い出があって、最も好きな場所の一つなんです。本当に、内輪の話で申し訳ないのですが、写真の真ん中の岩の上で踊ってるのは、友達の娘さんと僕の妻で、その風景には僕の最も好ましく思う全てが詰まっているように思えました。
新しい世代の子供たち、愛する家族、最も好きな場所、祖父の家族の無念、平和への願い、故郷。僕にとって、大量のハッシュタグが乱立するような一枚がこの写真です。ただ僕にとってのみ。
最もドメスティックな表現で、歌曲集を締めくくりたいと思ったのです。
次の歌のために。

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なかにしあかね 星野富弘の詩による歌曲集 二番目に言いたいこと

小沼俊太郎

未だ払われることのない闇に一筋の光を放つ、星野富弘の珠玉の言霊を、なかにしあかねの素朴なメロディに乗せて。

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