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合唱団まい 第22回演奏会

合唱団まい

2021年7月11日 松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)にて開催。新型コロナウイルスが未だ国内で猛威を振るう中、団員の半数の11名が出演しました。
合唱団まいが大切に温めてきた曲、今だからこそお届けしたい歌を、重唱、ソロも交えた少人数アンサンブルでお届けします。

わずかでも進もう 人生は短く 音楽はまだ世界にあふれている

音楽監督 雨森文也
ピアノ 平林知子
チェロ 西澤央子
チェンバロ・オルガン 廣澤麻美

1st STAGE
主を誉めよ、すべての国々よ 作品230
Lobet den Herrn, alle Heiden BWV 230
Johann Sebastian BACH(1685-1750)

1723年、トーマス・カントル(ライプツィヒ聖トーマス教会のカントル、教会音楽家で教会の合唱団や礼拝の音楽を取り仕切り、教鞭もとり市全体の音楽監督でもあった)に就任したバッハは礼拝の必要にあわせて多くの曲を書いている。
勤勉で多作な彼ではあるが、礼拝における主要音楽がモテット(宗教的内容を持つ比較的小規模な合唱作品)から、より規模の大きな器楽の伴奏によるコラール(讃美歌)とアリア(詠唱)が交互に進行するカンタータへと移行していたため、モテットは書かれた数も少なく、現存するのは4声の二重合唱が4曲、5声が1曲、そして4声の「主を誉めよ、すべての国々よ」である。
1821年にライプツィヒのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社より出版されたこの作品は、初版には「オリジナル手稿譜による」とあるが、現在その存在は確認できない。したがって作曲された年代、目的など不明な点も多く、バッハの作品であるか真偽も確認できないとする学者もいる。
モテットは祝賀や葬儀などの目的をもって書かれることが多かったが、選ばれているテキスト、曲調から何らかの祝賀のために書かれたもののように思われる。
この作品の冒頭のハ長調のテーマは、背筋が伸びるような晴れやかさをもつ素晴らしいものだ。
ゆるぎない信仰の心が天に向かっていき、喜びは国々へ広がっていく。
詩編の言葉をうたう第1部と4分の3拍子の「アレルヤ」のフーガからなる声楽による「前奏曲とフーガ」といった趣である。

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2nd STAGE
モンテヴェルディの歌 
Claudio MONTEVERDI(1567-1643)

・言おうか、憐れな、それとも黙っていようか Parlo, miser, o taccio
・眠っているのか 酷き心を持つ人よ Tu dormi? Ah, crudo core
北イタリア、クレモナで生まれ、1590年より22年にわたりマントヴァの宮廷音楽家として活躍したモンテヴェルディはイタリアを代表する音楽家の一人だ。伝統的なマドリガーレにおいて頂点を極め、不協和音や半音階書法を用いて言葉と悲痛な心情を大胆に表現する「第2の手法」(従来の手法を第1の手法と呼んだ)を提唱し、マドリガーレ集第4巻で伝統的なルネサンス様式と大胆な「第2の手法」とを見事に融合させた。その後、初の通奏低音付、9声の二重合唱、器楽による5声のシンフォニーア(純粋器楽曲)などの形態を経て、1607年彼の初のオペラ「オルフェオ」が初演され、言葉と音楽の一致を追求し、ポリフォニーから「語り」の音楽へと変容していき、第7巻(1619)以降、ポリフォニー様式の作品はなく、器楽伴奏つきの重唱曲、独唱曲が収められている。
調和的でしなやかな≪ルネサンス≫から、劇的な≪バロック≫へ時代を切り開いて方向を示したのはモンテヴェルディであるといっても過言ではない。
本日の演目、「言おうか、憐れな、それとも黙っていようか」と「眠っているのか、酷き心を持つ人よ」はマドリガーレ集7巻の中の作品で通奏低音つきの重唱である。当時に倣って各声部一人とチェロ、チェンバロとで演奏を試みる。

・愛する女の墓に流す恋人の涙 Sestina: Lagrime d'amante al sepolcro dell'amata
「愛する女の墓に流す恋人の涙」はマドリガーレ集第6巻(1614)に含まれるルネサンス的なポリフォニーとバロック的な手法が緊張感をもって両立する作品である。

この作品の誕生にはモンテヴェルディが2人のミューズ(音楽の女神)を失ったことと大きな係わりを持っている。

1607年2月オペラ「オルフェオ」の成功をおさめ、度重なるマドリガーレ集の再版で作曲家としての名声をイタリア中に名を馳せたモンテヴェルディ。同年9月に最愛の妻、宮廷音楽家であり彼の音楽のよき理解者であったクラウディアを病で失ってしまう。しかし、その悲しみに暮れる暇もなく、マントヴァ公の祝宴のために働かざるを得なかった彼は、給与の遅延や不払いから生活のための借金をし、激務からの体調不良に苦しんでいた。

その時、とりかかった作品がオペラ「アリアンナ」である。この作品で主役を務めるため準備していたのは、マントヴァ公のお気に入りでモンテヴェルディの愛弟子カテリーナ・マルティネッリであった。13歳で才能を見込まれ、1603年にローマより連れてこられ、以来家族のように暮らした彼女は娘のような存在であったろう。しかし、彼女も突然に天然痘を患い、あっという間に死んでしまう。18歳の若さである。

マントヴァ公は寵愛していた歌姫のために、大理石の立派な墓を建て、一周忌以降毎年命日にミサと礼拝を欠かさぬように修道士に通達を出した。しかし、それでも悲しみが癒えず、2年後1610年、更にカテリーナを記念するセスティーナ(六行六連詩。6行からなる6連詩に3行連を加えた39行で高度に構成された詩)「愛する女の墓に流す恋人の涙」を書かせ、それに曲をつけるようモンテヴェルディに命じたのである。

1612年7月、モンテヴェルディはマントヴァ公より気まぐれのような解雇の通達を受け、約1年後の1613年10月に新しくヴェネツィアのサンマルコ教会楽長に就任する。マドリガーレ集第6巻はその1年後1614年に出版されたが、多くはマントヴァ後期の作品であると推定され、彼のマドリガーレ集の中で唯一献呈者を持たないことから、彼自身の発案か彼と出版社の契約に基づいたものと考えられる。
モンテヴェルディのマドリガーレ集第6集は2つの「5声の連作マドリガーレとペトラルカの詩の無伴奏曲、コンチェルタート様式(通奏低音付き)の曲を2~3曲」の組み合わせに7声の曲が最後にコーダのように配置されている。オペラ「アリアンナ」のアリアを編曲して作られた5声の連作マドリガーレ「アリアンナの嘆き」を含む前半を妻クラウディアに、「愛する女の墓に流す恋人の涙」を含む後半をカテリーナに捧げる意図をもっているように思われる。

バロック期以前より楽譜に指定されていなくても通奏低音を付けたり、声部の一部を楽器に置き換えて演奏することは通常のこととして行われていた。「初の通奏低音付」という表現は、通奏低音を付けることを前提に楽譜が書かれているという意味での「初」である。時代の常識というものは、変わっていく。そのすべてを知り再現することは難しい。しかし、悲しみに暮れる時、人が嘆き、叫ぶ様は変わらないだろうし、喜びに満ち溢れる様も変わらないのだろう。だからこそ、長き時間を経た今でもモンテヴェルディの歌は私たちの心に深く届くのだ。
本日は通奏低音付きで演奏される。

※中世・ルネッサンスの音楽:皆川達夫(講談社現代新書)、ルネッサンス・バロック名曲名盤100:皆川達夫(音楽之友社)、モンテヴェルディ:ヴルフ・コーノルト、津上智美訳(音楽之友社)、モンテヴェルディと死―マドリガーレ集第6巻試論―:木村博子 などを参考にしています。

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3rd STAGE 混声合唱とピアノのための 赤い鳥小鳥 ―北原白秋童謡詩集― 
編曲 信長貴富

北原白秋(1884~1942)は約1200編もの童謡詩を残し、そのうち約400編に曲がついている。
生涯、30回以上転居した北原白秋だが、小田原で暮らした8年余りは童謡の創作が熱心におこなわれた時期であり、小田原の地が彼の創作にも大きく影響を与えていただろう。
この作品は小田原地区合唱連盟の設立40周年の記念事業として委嘱され誕生した。
混声・女声・男声の3バージョンがある。
初演:2009年10月18日小田原市民会館《第43回小田原市民合唱祭》設立40周年記念合唱団

「赤い鳥」
1918年(大正7年)、民主主義の芽生えとともに、世の中に夢や希望があふれていく大正デモクラシーの中、政府主導の唱歌、説話ではない、子供の純性を育むための児童文芸雑誌「赤い鳥」が 鈴木三重吉(1882~1936、小説家。夏目漱石の門下、1916年以降、児童文学に転じる)の主宰で創刊された。
創刊には芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声らが賛同の意を表明し、表紙絵や挿絵などに美術的情操を育む童画作品を数限りなく載せた。白秋の童謡はそこで次々と発表されていった。


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4th STAGE 信長貴富の歌

信長貴富は今や日本の合唱界に欠くことのできない作曲家。
彼の生み出す美しいメロディは幅広い年代の多くの人々に愛されている。

・混声合唱(または重唱)とピアノのための ヒスイ 
寺山修司 詩
合唱での「ヒスイ」と言えばアカペラの作品の方が有名かも知れない。この作品は2018年2月熊本県宇城市、ウイングまつばせ文化ホールでSchola Cantorum Kumamotoと「信長先生の女声合唱作品を歌う会」のジョイントコンサート「信長貴富作品展」にて、作曲家自らの選曲、指揮で「寺山修司の世界」と題したステージで演奏され、この時『無伴奏混声合唱のための「カウボーイ・ポップ」』に含まれていた「ヒスイ」は「混声合唱(または重唱)とピアノのための」新たな編曲が作られた。(プログラムは他に、寺山修司の詩による6つのうた「思い出すために」より「僕が死んでも」、混声合唱によるうたの劇場「不完全な死体」より「歌うためには」「歌曲」「不完全な死体」)
寺山修司(1935-1983)は想像力を武器に激動の戦後からの時代をしなやかに激しく駆け抜けた青森県生まれの歌人で劇作家である。時代を挑発し、異端ともいわれ、多岐にわたった彼の作品は今も愛され続けている。
まいでは、第20回演奏会(2018年)で「寺山修司の世界」を同じ選曲で演奏し、その一部を同年のコンクール出場の際自由曲として取り組んだ。

・混声合唱曲 生きる理由
新川和江 詩
新川和江(1929~)は日本を代表する詩人のひとりである。その作品は教科書で取り上げられ、また付曲されているものも多く、広く愛されている。作品は新鮮で自由な、しなやかで力強いという印象をうける。
この作品は、2010年に女声合唱曲として誕生し、翌年に独唱版、2014年に混声版に編曲されている。作曲家は混声版の楽譜の冒頭に「“歌うこと”を手に入れた私たちは、その行為によって、いま生きていること、生きている喜び、生き続けていく決意を表現し、共有することができ」ると記す。そして、この詩句を、歌う人、聴く人と共に分かち会い、「いま」を共にできる喜びを感じられることを願っている。

・覚和歌子の詩による混声合唱曲集「等圧線」より リフレイン
覚和歌子 詩   
この作品は2012年2月に混声合唱団名古屋大学コール・グランツェ(指揮:伊東恵司、ピアノ:平林知子)によって全曲が初演された混声合唱曲集「等圧線」の終曲である。「童声合唱とピアノのため」として2009年に出版された同声3部の「リフレイン」を混声版として編曲されたものである。混声版が誕生し、この歌を歌うしあわせを共有できる機会がより広がった。よろこびはわかちあえば、さらに大きくなる。そしてそれがリフレインされることで世界はより美しく豊かになっていく。
作詞家で詩人の覚和歌子には「千と千尋の神隠し」の主題歌、「いつも何度でも」をはじめ多くの作品がある。彼女の言葉は信長貴富のメロディと響きあい、すなおな命のよろこびを感じられる

Program

Total
1:34:44

Artists

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合唱団まい 第22回演奏会

合唱団まい

2021年7月11日 松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)にて開催。新型コロナウイルスが未だ国内で猛威を振るう中、団員の半数の11名が出演しました。
合唱団まいが大切に温めてきた曲、今だからこそお届けしたい歌を、重唱、ソロも交えた少人数アンサンブルでお届けします。

わずかでも進もう 人生は短く 音楽はまだ世界にあふれている

音楽監督 雨森文也
ピアノ 平林知子
チェロ 西澤央子
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