深貝理紗子
ピアノ
「夜-《家具の音楽》の上で」は、サティの音楽の上に、それぞれに生きた人間たちの心模様を浮き上がらせています。それによって一層サティの「家具」性が浮き立つのであれば、新しい化学反応を見られるのではないか…そのような興味を持っています。
フランス近代音楽と文学から、もしなにか心から溶け出していくような感覚が起こることがあれば、そしてそれがプルーストの言うような「幸福感」であればと願ってやみません。
夜―《家具の音楽》の上で
深貝 理紗子
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プログラム
エリック・サティ:グノシエンヌ第1番
モーリス・ラヴェル:夜の蝶
クロード・ドビュッシー:オンディーヌ
フランシス・プーランク:讃歌
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プログラムノート
矛盾を孕みながらも妙に腑に落ちる。そこに心があるように思えてならない。
「意図的に聴かれること」を嫌った音楽は、「いつも存在しているべく」 生み出された。実験的に書かれた《家具の音楽》は、いつしかサティの重要な理念となった。それはおそらく音楽において、或いは芸術において、ひとつの哲学として異彩を放っている。
低刺激であり強烈で、わかりやすくてわからない。
日常に溶け込む音楽に気付かない生き方を鼻で笑い、気付いた生き方を、憐れと思うだろう。どちらにしてもサティは私たちを挑発し、私たちに寄り添っている。
家具のように心地よく、自然とそこに佇むもの―その上に私たちの生活が営まれているとしたら、サティの音楽の上に、それぞれに生きた人間たちの心模様を投影していくことも可能なのではないか。それによって一層サティの「家具」性が浮き立つのであれば、新しい化学反応を見られるのではないか。そのような興味を持ち、今回の作品に至った。
日常、そのなかでも最も無防備かつ人目に触れられることの少ない「人間くさい」時間にスポットを当ててみようと思い「夜」の物語を抽出してみた。
「夜」は多くの詩人が「苦しみ」や「悲しみ」の比喩として用いてきたものでもある。日頃見過ごされていくほどの小さな感情も、あるとき何らかの刺激によって溢れ出していくものだ。それでも、発散することなく生きていれば、自分でも知らないうちに凍った心を形成してしまうかもしれない。
私はその些細な部分にこそ、人間らしさがあるように思ってきた。もし、なにか溶け出していくような感覚が音楽によって起こることがあれば、そしてそれがプルーストの言うように「目のくらむような幸福感」であるならば、と願ってやまない。
《家具の音楽》から沸き起こる音楽には、ラヴェル、ドビュッシー、プーランクの小品を選んだ。いずれもフランス近代を代表する音楽家である。
《夜の蝶》では、ある娼婦の哀しみが描かれる。この時代のパリはマネの絵画《フォリーベルジェールのバー》で描かれる女性のように、華やかな世界にいるように見せかけて、鏡のなかの虚構のように“取り残された”世界があったのではないだろうか。もちろん、現在も含めてそうかもしれない。突然ガラス越しにいるような感覚で世の中が見えた体験は、多くの人にあるだろう。
本来《蛾》と訳されることの多い作品ではあるが、ヴェールに包まれたひとりの女性の哀しみに想いを馳せてみると、近代フランスの頽廃的な空気とともに、人としての温度が現れてくるように思う。
《オンディーヌ》はさまざまな解釈があるだろう。もともと悪魔的な存在として見ることもできる。私にとってはむしろ、だれもがオンディーヌになり得る可能性があるように思えてしまう。その悲しみ、辛さ、怒り、諦め、そして狂気。執着からは幸福は生まれないが、オンディーヌの場合はその「ひとり」を逃したら、自分も相手も失う運命にあった。選択する自由、自分の意志で生きる自由がある私たちが考えなくてはいけないのは、自由を与えられなかったオンディーヌの「その後」である。
祈りと光のある《讃歌》は、大衆的なメロディーも交えた「身近」な音楽である。プーランクもまた、受け入れられにくい恋愛に忙しい人だった。ジャン・コクトーをもとにしたモノドラマ《人間の声》は、プーランク自身、辛くなるほどに自己を映し出したという。ソプラノひとりで歌われるその歌曲は、自分を裏切った男性との通話ののち破滅を描く。たった一夜の、壮絶なドラマである。《讃歌》は破滅ではなく、生き続ける音楽だ。堂々と構築される光のハーモニーに安心する。
映像のなかでは、フランス近代音楽と切っては切り離せないフランス文学から、ボードレール、マラルメ、ヴェルレーヌ、ベルトラン、ランボー、プルーストの言葉を引用している。《家具の音楽》と同様に、いつもそこに存在することによって日々の彩りとなってくれるものと信じている。
「夜-《家具の音楽》の上で」は、サティの音楽の上に、それぞれに生きた人間たちの心模様を浮き上がらせています。それによって一層サティの「家具」性が浮き立つのであれば、新しい化学反応を見られるのではないか…そのような興味を持っています。
フランス近代音楽と文学から、もしなにか心から溶け出していくような感覚が起こることがあれば、そしてそれがプルーストの言うような「幸福感」であればと願ってやみません。
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