常民一座ビッキンダーズ
民謡
日本の民謡の大部分は「常民」と呼ばれる名も無き人々によって生み出され受け継がれてきました。「常民」は里山や田畑、海や川で働いて生活していた人々で、日々の厳しい労働を歌うことによって乗り越えていました。
時代とともに常民の仕事は機械にとってかわられ、民謡はステージ上で披露するものとなってしまいました。一座は、民謡を歌う常民の身体と声がいったいどういったものであるのかを知るために、今一度民謡を里山に返すことにしました。
撮影場所:埼玉県越生町、毛呂山町 山中
1. 山行唄(栃木県)
唄:佐藤、田村、日下
芳賀郡逆川村(現・茂木市)の炭田で歌われていた石炭坑夫の唄。特徴的な掛け声から「ヤロヤッタナ節」とも呼ばれる。鉱山が閉山となった後も、山仕事に行く途中や仕事場で歌われていた。
ハァ朝の六時からナー カンテラ下げてナー
炭坑通いもヨー ナンダ主のためヨー(ヤロヤッタナ)
連れて行くから 髪結い直せ
世間島田で 渡れまい
声はよく出た 来るはずないが
もしも来たかと 門に待つ
下と上との 境目の桜
下でつぼめば 上で咲く
街を離れて 風の音聴けど
やはり恋しき 人の声(※)
2. 朝の出がけ(千葉県)
唄:田村
かつては千葉県下で広く歌われた酒席の唄。旋律の原型は信州の追分節の「馬方三下り」と同型で、歌詞は豊穣を予祝する草刈唄から転用したものと考えられる。
朝の出がけにヨーイ どの山ヨーイ 見てもコラヨーホイ
霧のかからぬヨーホイ 山はないコラヨーホイ
今年ゃ豊年ヨーイ 稲穂がヨーイ 招ぐコラヨーホイ
実りゃ取り入れヨーホイ 俵の山コラヨーホイ
3. 刈干切唄(宮崎県)
唄:佐藤
高千穂町に伝わる代表的な宮崎県民謡。晩秋に、巨大な鎌で山の斜面のカヤを刈り取る刈干切りという作業の中で歌われた。現在歌われるものは陰旋(都節)が多いが、より原型に近い陽旋(田舎節)で歌っている。
ここの山の 刈干しゃ済んだヨ
明日は田んぼで 稲刈ろかヨ
もはや日暮れじゃ さこざこ暮れるヨ
駒よ往ぬるぞ まぐさ負えよ
高い山から 握り飯こげた
烏ぁ喜ぶ わしゃひだる(干上がる)
4. 氷切唄(埼玉県)
唄:田村
秩父には冬の天然水を夏まで保存する氷室があり、出荷の際のこぎりで氷を切り出すときに歌われていた珍しい唄。曲節は信州追分節の「馬子唄」と同じものである。
私ゃ秩父の谷間の氷 主の情けで溶けるわい アーヨイショヨイショ
雲がかかれば秩父の山は 雨となるやら晴れるやら アーヨイショヨイショ
5. 野も山節(山形県)
唄:日下
北村山郡長瀞村(現・東根市)で生まれた座敷唄で、江戸時代中期に世の泰平を寿ぐ庶民によって三味線伴奏で作られたと思われる。旅衣を着て手に笠と杖を持った踊り付きで歌われていた。
野も山も 豊かなる世や花の旅 明けゆく月の笠を
(これより先を 山路と聞けば あとに行くか行くまいか)
明けゆく月の笠をかたむけ 都の空に
都の空につく杖も これもよし
(目出度い 目出度い)
6. 南部牛追い唄(岩手県)
唄:佐藤
牛を使って荷物を運ぶ牛方と呼ばれる人々が、三陸から盛岡への山道を牛を引き連れて歌った唄。「ハイパパァ」は、牛を急かしたり横道にそれないようにする掛け声。この歌詞は現在広く歌われているものとは異なり、訛りが強くより牛方の風情に近いものである。
歩け小斑やサーハーエ うがべり(お前だけ)遅いサアー(ハイパパァ)
向けの長嶺でサーハアエ 日が暮れるコラサンサエー
小川出っ時ゃ コデべえり(牝牛ばかり)ぼってんがナ(追っていた)
町村沢口で コデ三つめんねがナ(見失ってしまった)
塚の沢下りゃ がんべ(岩洞)の宿でナ
牛方の賄に ゆるけ(薄粥)鍋かけったがナ
7. 熊ひき唄(長野県)
唄:日下
長野県の北端、豪雪地として知られる下水内郡栄村秋山郷で、冬眠中の熊を狩り、雪の上を引きずって運ぶ際の唄。木遣唄を原型とした祝い唄でもあり、山の狩猟の神であり鎮守の神でもある十二様(十二大明神)への感謝を述べる。
ハァ苗場山頂で熊とったぞ(ヨーエトナー ヨーイトナー)
ハァ引けや押せやの大力で
ハァ西と東の大関だ
ハァこの坂登ればただ下る
ハァじさまもばさまも出て見やれ
ハァ下りゃお前と鍋囲む(※)
ハァ十二様のお陰で熊捕ったぞ
8. 神輿音頭木遣(東京都三宅島)
唄:佐藤、日下、田村
三宅島の富賀神社にある神輿を各村々へ運び送る道中で、露払いとして歌われた木遣唄。江戸木遣そのままの唄で、江戸の祭礼形式をそのまま持ち込んだものとされるが、より荒々しい表情を持っている。
ホンハー アーヤーレー(オーレテー)
オー ヤリテー(オーレテー イェー オーヤーレー)
御照覧参らせて
とめ太鼓 若さはじまず
おんたかがみだにて
若い衆の威勢のよさ
目出度く納めまして
注:(※)付きの歌詞はビッキンダーズの創作
日本の民謡の大部分は「常民」と呼ばれる名も無き人々によって生み出され受け継がれてきました。「常民」は里山や田畑、海や川で働いて生活していた人々で、日々の厳しい労働を歌うことによって乗り越えていました。
時代とともに常民の仕事は機械にとってかわられ、民謡はステージ上で披露するものとなってしまいました。一座は、民謡を歌う常民の身体と声がいったいどういったものであるのかを知るために、今一度民謡を里山に返すことにしました。
撮影場所:埼玉県越生町、毛呂山町 山中
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